Belle Ame

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主婦の本音!! 男性は知らない方がいいのかな?

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約9分

表に書いて公開出来なかったもの。。。この際だからこっちであげちゃうw

男性にとっては耳の痛い話だろうから聞きたくない人は読まないほうがいい。

ある意味、私の一方的な見方もはいっている。この問題は男性ばかりではなく女性もあることだから。

ただあえて両方に訴えるようにではなく、女性目線で書かせていただいた。もちろん逆のパターンもある事は知っている。そのことも承知しているので、その辺りの反論はいただきたくない。逆にも取れる事も前提条件によっては当てはまらない事もある事をここで予め明記しておく。

そして、あくまでもシステムを理解して欲しいと書いたということも理解して欲しい。

システムを理解すれば、感情で捉える事はない。読む視点は、「そうなっているんだ」という視点だ。理解すればなんて事はない問題なのだ。

最近の痛ましい事件について、もちろん悪いものは悪い。ただ、母だけをバッシングするのはどうかと思うのだ。根本の原因、その裏にあるものを知って欲しい。もしかしたら私自身が当事者になっていたのかもしれない。。明日は我が身。。。そう思っている主婦が多い事に気が付いて欲しい。それぐらい身近なのだ。

少しでも主婦の想いが伝わればと書いた。心の負担を軽減するために。。。と言っても所詮妄想の中にいるからだと書いてしまえばそれまでなのだが。敢えて人間社会での生き方についての見方から書いた。

私自身も、何も知らない時、妄想時代が子育て中だったので他人事ではないからだ。苦い思い出だ。それほどまでに身近で重大だ問題という事に気づいて欲しい。

真面目で周囲を気にし、自分の問題として捉え主婦としてちゃんとしなければと思っている人ほど陥りやすい問題なのだ。逃げ場のない主婦が陥りやすいのだ。

このシステムを見つけるまでに研究したのもこんな妄想の自分をなくすためでもあった。生きやすい自分を手に入れるためでもあったのだ。

そして、この記事をアップするのに悩み続けたことも考慮して欲しい。お蔵入りにしようかどうか今でも迷っているのだ。

気分を害されるものなら即お蔵入りにします。

主婦の本音

女性は結婚した瞬間から褒められる事はない。

家事は出来て当たり前。

家計のやりくりも、掃除も洗濯も食事も出来て当たり前。

子供が出来ても子育てが出来て当たり前。

ダメ出しはあっても褒められる事がない。

これが主婦の現実だ。

対して夫だ

家事を手伝えば褒めて欲しい

育児を手伝えば褒めて欲しい

仕事をしてきて労って欲しい

と男性は言う

子供がいると尚更だ。子育てに専念しなければならないのが、男性には妻を取られた気になるらしい。

5分でもいいから自分の時間が欲しい。とまで願うほどの「子育て・育児」というものを理解しようともせずいつまでも他人事で子供なのだ。

たまに手伝うと、ほら、褒めて〜〜これもしたよ〜〜

と女性から見るとまるで子供だ。

こんな言葉を聞いた事はあるだろう「大きな子供が1人増えた」と。

男性は良く言う。「褒めるだけでいいんだから、その気にさせておけばいいんだって」と「男は単純なんだから」と・・

そして、「女は子供を産むから母になれるが夫は産んでいないからなれない」と・・・

違う!産んだ瞬間に誰も手助けもなく、強制的に出来るものだと任されるのだ。逃げ場のない極地に立たされ、しなければならないものに変わってしまうのだ。頼るものがない。ただそれだけだ。主婦となった時と同じように。

夫はすぐ横に子を産んだ妻がいる。それを前提として物事を考えている。その瞬間に妻がいなくなれば、夫はその瞬間に父になる、いや、ならなければならないのだ。逃げ場のないやるしかない局地に立つからだ。それを妻が自然と当然のようにしているだけなのだ。当たり前という意識からだ。

ここからが本題だ。システムというものを理解して欲しい。

「褒める」という行為は女性いや人間ににとっては「子供」相手だから自然とできると言うことを。

対等の立場と捉えている者には本来出来ない行為なのだ。(ジョーダン・遊び的なものは省く。ここでいうものは本気・真剣なものだ)

褒めると言う行為は完全に下に見なければできない。または、自分に出来ない事を成し遂げている人に向けての行為だ。

すでに男性として見られない位置にくれば簡単にできる。子供として扱うと言う事は、男性として見れなくなると言う事実でもあるのだ。

すでに、主婦という立ち位置は「褒められない、強制的に何もかもできなければならない。」という位置にいる。

そして、夫は「褒めて欲しい」と子供の位置に立つ事で、すでに男性・夫・異性 とは見ないでください。と言っているようなものなのだ。

逆に、男性として見ている人は「褒める」事ができない。同じ対等の男女と捉えているからだ。

相反するものは共存できないのだ。法則として無理なのだ。

このことを男性は無視して、自分のいいように動かそうとするが、動物的には無理な話だ。子育て中の精神的余裕がないときには更に無理なのだ。

子供としていたいのか?それとも夫として男性としていたいのか?

これは相反するものでどちらかを選ばねばならない。

これは社会・会社でも同じではないだろうか。

出世すればするほど、褒められる事はない。できて当たり前の位置にいるからだ。当然給料面も違う。

逆に何をしても褒められるようでは、相手は完全にライバル・仲間・同僚・・要は自分と同じ立ち位置とは見られていない。

同じ土俵にも上がらせてもらえていないという事。

褒められるというのは、その立場上、以上の力を成功させた時なのだ。

主婦が夫を褒め始めたら要注意だ。

完全に手玉に取り、すでに夫と見ていないだろう。対等には扱われていないのだ。

都合のいいように動かす道具としてしか見ていない。

それの見極めは、主導権がどちらにあるかだ。(ちなみに、恋人ならあるのだろうか?尊敬とか・・・ただ夫婦となればなった瞬間から家庭の中では同じ立ち位置に変わるという事は忘れないで欲しい。妻がそうであるように、夫としてあって欲しい力はあって当たり前だと思っている。)

ある意味、褒めるという行為は主導権を握るためにある。

褒められたい人よ、その辺を注意して自分のエゴを考えて欲しい。

夫としても男性としても、上司としてもその立ち位置を捨てたいのなら「褒めて欲しい」というエゴを満たすがいい。

女性は主婦になった瞬間からそんなエゴは捨てている。いや強制的に捨てさせられるのだ。それも夫となる男性にだ。

これが現代の刷り込まれたシステムと動物のシステムだ。

もちろん、女性でも褒めるのが好きな女性もいる。年下が好きな女性だ。だが見て欲しい。主導権は女性にある。要は自分の思うままに動くもの好きなのだ。ペットのような存在だ。だから異性として見る事ができる。だがそれも、子を持つまでだ。それぐらい子育てというのは大変なものだし、子以上の子供はいない。本物の子供には勝てないのだ。

システムを知らないものが、自分のエゴを満たそうとする行為がそもそも失敗をうみ、言葉の世界で言い含めようとしているだけだ。

システム・法則を知れば、どちらを選ぶか?それだけでいいのだ。

システム・法則を知らないから、選ぶこともできず、相反するものを共存させ同じことを繰り返す。

前回の失敗が何であるかが分からずに、エゴを通せる人・場所を探そうとするからだ。

それは無理だ。相反するものを両方選ぶ事はできない。

これが自然の法則だから。

どちらかを選べば、選ぶという行為が反対を捨てることになる。

会社でも家庭でも、「褒めて欲しい」と願うのは、ある意味一生下僕でいます。と宣言しているようなものだ。

一生子供として扱ってください。と宣言しているのだ。そして、一生本来の自信などはつかない。子供でありたいと願っているからだ。

あなたが一生そのつもりであるのなら続けるといい。

そうでないのなら、尊敬されたい。慕われたい。自信のある大人になりたい。と願うのなら自分の行為を振り返って欲しい。

全てはシステムと前提条件に置けるものの動きだ。

何の不思議もない。システムを知らないものが自分の不条理を押し通そうとしても通るわけがない。

自分の矛盾の解決をしなければ一生続く問題だ。

これは上記の問題だけではない。人生というのは全てシステム通りになっているのだから。

自分の矛盾を取り除くことから取り組んで欲しい。

自分の矛盾を取り除けば自ずと自分にあったものがどういうものなのか見つかるだろう。全てはシステムで動いているのだから。

そして「エゴ」というものは些細なものではない事に注意して欲しい。とても大きなものなのだ。

褒めることが簡単なことではない。という事を認識して欲しい。それが本気・真剣な場所であればあるほどなのだ。

「出来て当然」と思っているものに、「褒める」という事は出来るだろうか?

子供なら褒められる。「出来て当然」はないから。

だが、強制的に出来て当然という立場に置かされて、同等な立場、いやそれ以上でいたいと願う夫に対して自分が出来て当然となされているものを褒めることが出来るだろうか?

仕事だったらどうだろう? その位置なら出来て当然という位置にいる部下が「褒めてくれ」と強請る。

出来て当たり前だーーと思わないのだろうか?苦笑しての褒める行為であるのではないだろうか? 

家庭では、出来て当然と扱われてダメ出しはあっても褒められる事はない妻に対し、自分が出来ると当然ではなく褒めてくれ。

ここで間違わないで欲しい。褒めてくれと言っているわけではない。出来て当然となっているならば、出来て当然としてやって欲しいのだ。同等という事。

相手に対して扱ったように、自分にも扱えばいい。そこに矛盾は生じない。

生活は共同なのだ。共同は同じことが出来るのは当たり前なのだ。主婦だって最初から「出来る」を前提にされているのだから。「難しいことではない」というのが前提にあるのだから。強制的に大人にさせられてしまうのだ。強いのではない、強くさせられるのだ。環境と、逃げる男性がそうさせるのだ。

逃げ場のない主婦はどうしたらいいのか?どこが逃げ場になるのか?真剣に考えて欲しい。

これが人間社会で起きていることだ。

そしてもう一つリアルな現実からの大切な事。

赤ちゃんというのは大人から見ると宇宙人なのだ。全くわからない。

それは、赤ちゃんは自然と繋がっていてとても自然的な生き物。

ただ大人は言葉の人間社会に慣れてしまい、自然がわからなくなっている。リアルがわからないのだ。

だから宇宙人のように捉えてしまう。

大人が本来のリアルに生きれば解消されるが、この宇宙人の赤ちゃんを人間にさせようと努力しているのだ。

本来自然から見ると言葉の人間社会の方が宇宙人だ。

リアルな世界から外れた大人が、人間社会が作り上げた宇宙人である事を知って欲しい。

リアルな世界を生きるものは、赤ちゃんとは馴染み深い。すぐに反応でわかるのだ。それぐらい本能という力を簡単に使うのだ。

生きるために、とてもこの物質社会を楽しめるのだ。

それを奪うのが、人間社会の生き方である事も理解して欲しい。

言葉に頼る生活が、この世界のシステムもエネルギーも見せなくなっている。。。

リアルな世界はシステム通りにエネルギーを現実化させることだけだ。

もっとリラックスして生きられるようになる。

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